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『アウトレイジ最終章』――ヤクザと老後とコノヤロー

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先日、ようやくアウトレイジ最終章』を観に行った。
練られた脚本、相変わらずの小気味良い編集、爽快で痛くて笑えるヴァイオレンスシーン、どれも三部作を締めくくるにふさわしいエンタテインメントそのものだった。

されど、もはや絞り出すように「コノヤロー」と言い、老いや衰えを隠せない大友=たけしを見て、どこかやりきれなくなった自分がいた。大友は死する価値があるのか、と。
北野映画において、「死」は常に主人公にまとわりつき、破裂寸前のテンションを保ち、時に穏やかにさえしてくれていた。
海は男の死に場で、波はいつも静かで穏やかだ。
本作は最終章ゆえ、死の匂いをまとうのは必然だった。だから、最終章は済州島の海から始まった。どこかで見たようなカットから映画は始まる。
――だが、最終的にその死にヒリヒリするようなあの緊張感は無かった。大友が老い過ぎて、その死は普通で、必然というより自然で、なんだか軽かった
この年で5年の歳月は重かった。存在もなんだか亡霊のようだったし。

 

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新たに登場した俳優陣は、この写真だと上下で使われ方が極端に明暗が分かれた印象。
『最終章』で最もおいしかったのは、済州島から大友と共に乗り込みマシンガンをぶっ放した市川こと大森南朋。これには異論は無いだろう。
かつての椎名桔平扮する水野のような獰猛さは無いが(あったら言うことなかった)、仁義に厚く、武闘派の男臭いヤクザを好演した。

抗争のきっかけを生んだ花田ことピエール瀧、考えてみると北野映画に出るのは結構久しぶりな、かつての「常連」大杉漣は、その末路含め持ち前のキャラを生かし切ったと言えるのだが、原田泰造池内博之岸部一徳は、「果たして彼らを使う必然があったのか」と言わざるを得ない無駄遣いっぷりだった。まあ『ビヨンド』でもそういう役者は少なくなかったが……。
まだ張会長の下にいた津田寛治の方が光ってた。

 

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新たな出演陣がやや霞んでしまったのも、『最終章』の実質的な主演は花菱会の西野(西田敏行)と中田(塩見三省)だったからだ。

『ビヨンド』で魅せた声の張り、活舌、ド迫力の強面を期待したが、それは残念ながら見ることはできない。5年の間に、ここにも老いが確実に忍び寄っていた。
それどころか、二人とも病み上がりで、塩見三省に至っては脳梗塞から復帰したばかりという状況だったからだ。それが逆に鬼気迫る、病的な怖さを感じさせることもあったが、三池崇史のような風貌になった塩見三省にはショックを隠し切れなかった。立ち位置も殊更に小物感を露わにしてしまったし……。 

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でも、「あーん?」はちょっと自分の中で流行りそう。