『15時17分、パリ行き』――高性能な本人出演再現ドラマの意図
先月頭に友人と観たが、イーストウッド翁が、どんな境地でこれを撮ってるのか分からないほど不思議な映画だった。
高性能な「本人出演再現ドラマ」を目指した実験であり、アメリカ人の呑気なヨーロッパ旅行ムービーであり、英語は地球語?であり、前二作より純粋なヒーローを描いた物語でもあり……。
飽きずに見られたのはイーストウッド組の的確な編集、カット割、時折出てくる美女のおかげか。「導かれるままに」的なセリフだけが脚色っぽく蛇足に感じるほど。
つまり、子供時代からの彼らの歩んできたすべてが、彼らをあの列車に乗せ、テロを防いだのだ、これは必然なのだ、という語り口。イーストウッドはそこにドラマを見出し膨らませたんだろうと。
彼ら3人があの列車に乗らなければ、テロで多くの人の命が失われた。
それが分かりやすく伝わる作りだっただけに、やっぱり「導かれるままに」は不要なセリフだったと思う。
自撮りしてる彼らを見て、「あれ、これ何の映画だっけ?」と思うことしばしば(笑)。
トム・ハンクス主演で同じく実話を基にした前作「ハドソン川の奇跡」を観ていた友人は、イーストウッドが『パリ』に行き着いたのは自然なことだったと言っていた。
ということで見てみたが、これがまさに『アメリカン・スナイパー』と『パリ行き』を繋ぐ、後ろ脚が出てきたおたまじゃくしのごときつくりで、僕らは80超えたイーストウッドの進化を目の当たりにしているのがよく分かったのだった。
「アンビリバボー」な英雄的行為をリアリスティックに描いた事故のシーン(当事者本人も多く出ている)、疑惑の払拭という事実ではあるがややフィクショナブルな演出。『パリ行き』は『ハドソン川』よりシンプルに、リアルに、そして必然的に実験的になっていった。
改めて最近の作品を確認すると、イーストウッドは本人が最後に主演した『グラン・トリノ』以降実話物しか撮ってない。
歳というのもあるんだろうけど、イーストウッド本人が自身を最大の虚構だと自覚しているんだろう。で、自分が出ないなら実話だ、ならばもう役者ではなく本人が出ればいいのでは、と。
厳密に言うと『ヒア アフター』は違うんだけど、スマトラ沖地震やロンドンのテロなど、実際に起きた出来事が感情を激しく揺さぶるキーになっている。また、「奇跡体験」的な切り口でいえば、『パリ行き』の方向性に最も近いのは『ヒア アフター』だ。
あの映画は震災直前に公開されたためタイミング的に本当不遇で、公開は早々に打ち切られ、一部の人には未だに正視し難い映像が続くのでご注意を。