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『HANA-BI』過去記事――北野流死出の旅

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大杉漣が急逝し、テレ東が急遽HANA-BIを放送していた。
昨日の『ニュースキャスター』で、たけしはテレビの前で涙を流した。

僕は、アウトレイジが常連の俳優、久石譲の音楽といった北野映画を表象する要素を捨て、ヤクザと「コノヤロー」だけを残してエンターテインメントを追求した映画だとしてきた。
だが、『最終章』で大杉漣が重要な役どころで初めて出演すると知り、やや混乱した。その刀だけは抜いてこないと思っていたからだ。
当時はなぜ?と思いつつ理由なんて分かりっこないので触れなかったが、ソナチネのオーディション時の逸話のように、たけしは無意識的に何か運命的なものを感じ取ったのかもしれないとか、そんな勝手な憶測を考えずにはいられない。

北野映画に10本近く出演した大杉漣にとって、バイク事故時のたけしを演じたに等しい堀部という役はとりわけ重要。『HANA-BI』を選んだテレ東は偉いと思った。

以下は5、6年前に書いた記事です。

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たまたまやっていたので見てしまった『HANA-BI』。
言わずもがな、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞して、逆輸入で日本が北野武を知った作品だ。

アウトレイジ』→『アウトレイジ ビヨンド』を見てから改めて見ると、
アウトレイジ』シリーズが、いかにエンタテインメントを意識して作ったかが分かる。
そして、今後逆の順序で見て、『HANA-BI』は難解で難儀な映画だなと思われるかもしれない。

ただ、『HANA-BI』ほど、北野映画の要素が総合的に詰まった作品も無いし、初期から全部洗ってる人にとっては「クリシェ」とも呼べる作品かもしれない。だからこれで金獅子賞を獲ったというのは、何か納得できたりする。
暴力、ヤクザ、刑事、静と動、寡黙な主人公、海、ゆっくりとした破滅、大杉蓮に寺島進――
さらに、本作のテーマでもある夫婦愛とロードムービー、そして彼の描いた絵が新たに加わった。これは菊次郎の夏以降に活かされていくエッセンスとなる。

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たけしが刑事を辞めて死出の旅に出るまではかなり時間軸が入り乱れた編集を施していて、現実にも回想にも割と同じ格好をした寡黙なたけしがいるので、非常に混乱させられる。
たばこの火をつける瞬間に銃弾を受ける大杉蓮を繋げてみたり、パトカーのサイレン音きっかけで、刑事を辞める理由になった事件を繋げてみたり、さらには回想をふんだんに挿入してみたり。

HANA-BI』で鮮烈な印象を残すのが薬師寺保栄
今頃何してるんだろうか、役と同じようなことになってないだろうか。

 

 

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2017年観た映画レビュー その2

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やっつけ企画、2017年観た映画振り返り。
今回は8~10月に観た映画たちです。
予告編も貼っていれば、Amazonビデオへの接続もばっちり(最近の映画はほぼAmazonでさくっと観られるということか! そりゃあTSUTAYAは潰れる)ということで、かなり気の利いたリンクにはなっているかと思います!

 

『素晴らしき映画音楽たち』

 

『SCOOP!』

 

ダンケルク

 

戦争のはらわた

 

ハングオーバー!!! 最後の反省会

 

『her』

 劇場で観ていればエターナル・サンシャインレベルの感動を味わったはずなので、ちゃんと書きたかった……。
折りたたみスマホはもうすぐ実用化されそう。必要なのかはさておき。

 

『新感染』

 

『エイリアン:コヴェナント』

終電後のド深夜に観たファスベンダー劇場。ダメな所めちゃ多いんだけど結構好き。
おかげで『プロメテウス』すら観直したくなった。

 

SCOOP!

SCOOP!

 
ダンケルク(字幕版)

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2017年観た映画レビュー その1

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観た映画は何であれブログに残しておきたいけど、自分の持ち時間と能力ではできなくて。
とりあえずツイッターには残しているので、それをまとめて気持ちを落ち着かせるための記事です。
ツイッターを始めた2017年の3月から夏くらいまでのまとめ。
その前に観たのは『ローグ・ワン』『ラ・ラ・ランド』『コクソン』など。

 

ドント・ブリーズ

 

キングコング:髑髏島の巨神』

 

『ムーンライト』

 

『インサイダーズ/内部者たち』

 

『メッセージ』

 

言の葉の庭

 

『葛城事件』

 中華料理屋のシーンは伝説。


『日本で一番悪い奴ら』

 

 

ムーンライト(字幕版)
 
言の葉の庭

言の葉の庭

 
葛城事件

葛城事件

 

『デトロイト』――差別が加速させた悪夢のような役割分担

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先週、キャスリン・ビグローの最新作『デトロイト』を観てきた。
デトロイト暴動」が起こった背景から実際の暴動の様子、そして、後半は登場人物たちが拷問に近い執拗な取り調べを受けたといわれる「アルジェ・モーテル事件」を描いた作品だ。

ハート・ロッカー』『ゼロ・ダーク・サーティと、ビグローは9・11以降の「憎悪の連鎖」「アメリカの罪」を、特殊な任務に従事する主人公に徹底的にフォーカスすることによって描いてきた。
僕がビグローの近作に魅力を感じていたのは、その扱うネタの新しさと、先述した主人公の「病のごとく狂気じみた職業倫理」にある。

しかし、『デトロイト』は50年以上前の出来事を、確たる主役不在、つまりやや群像劇のスタイルで描いている。ジョン・ボイエガは一番上にクレジットされているが、『スター・ウォーズ』と違いヒーローにはなれない。力強い個にフォーカスすることによって、フィクション的要素が濃くなることを恐れたのだろう。(ゆえに事件が発生するまでにかなり眠くなったことを付け加えておく……₎

 

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白人警察の黒人への暴行事件は今も後を絶たない。結末含め「アメリカは本質的に何も変わっていない」と考えずにはいられない映画だが、執拗に描かれたアルジェ・モーテル事件のシーンによって、ビグローは人種差別と「病のごとく狂気じみた職業倫理」の相関を描きたかったのかもしれない。

デトロイト』で最も印象に残るのは、ウィル・ポールター扮するレイシストの白人警察官クラウスだ。
どっかの批評家が「ビグローの卓抜さは、トランプ支持層の『幼稚さ』を「童顔」の俳優に形象化したことに集約される」なんていうひどいコメントを発していて驚いたんだけど、確かにちょっとステレオタイプな描かれ方ではある。
クラウスの描かれ方から思い出したのは、「アルジェ・モーテル事件」のシーンは、さながらちょっと前に話題になったドイツ映画『es[エス]』のようだ、ということ。看守と囚人それぞれの役割を演じさせたら人間どうなるか、という実際に行われた実験の顛末を描いた映画である。
暴動最中の緊張状態にあって、「肌の違い」によって役割が固定化され、行為は自己正当化され、積極的にその役回りに没頭していった末の悪夢――差別は種火であり、ブースターである。

クラウスは狡猾で暴力的であるだけではなく、警察官として、彼なりに狂った倫理感の下「取り調べ」をやっているという意識なのである。だが、正当化しようにも銃が見つからず、「取り調べ」は「拷問」の様相を呈すことになる。
他の白人警察官も松竹梅のように極悪度が分かれつつも、次々と暴力に加担する。
フリンは俺たちの街でこんなこと許さねえ」と言い、黒人と一緒にいた白人女性を蔑視し、服を剥ぎ、今にもレイプしそうな勢いだ。

あの状況下で「あれはおもちゃの銃だったんだよ」と主張しても受け入れられる可能性は低かったと思われる。とはいえ「銃は無いんだよ」と言っても状況は見ての通りだったわけで、あそこには退役軍人に最も象徴的だったが、黒人側のプロテストが込められていたのだろうか……。

 

映画の舞台がモータウン時代のデトロイトとあって、挿入される楽曲もいちいち素晴らしいが、やはりエンディングで流れるThe Rootsの曲を取り上げたい。
エリカ・バドゥジョン・レジェンドとフィーチャリングしてきたルーツならではな素晴らしい楽曲に仕上がっている。
ビラルのひたすらカーティス・メイフィールドを彷彿とさせるソウル・パートのある種のノスタルジー、バトンを受け取るブラック・ソートのラップの正しい鋭さ重さ。
「公平じゃない」――当時も今も続く黒人の受難とプロテストが邂逅するかのような名曲だ。

 

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Detroit

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『デトロイト』ではなく、『ゼロ・ダーク・サーティ』過去記事

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2013年2月に書いたものです。

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公開日に観た『ゼロ・ダーク・サーティ』。
ウサマ・ビン・ラーディンの発見・殺害に執念を燃やしたCIA女性分析官を描いた物語だ。
監督のキャスリン・ビグローは、『ハート・ロッカー』に続きイスラム世界が舞台の映画を撮ったことになる。

 

映画は冒頭、真っ暗闇で助けを叫ぶ人々の、あまりにも生々しい肉声だけが響き渡る。
9.11で、アメリカは多くを失った。
罪なき多くの人々を失い、経済の象徴WTCを失い、超大国の威信を失った。
失ったものを取り戻すために、これ以上失わないために、すぐに色んなものが変わった。
アフガニスタンイラクは戦場と化し、入国審査は厳しくなり、映画のテロリスト役はアラブ人が占めるようになった。
3.11を経験した日本人である自分も、天災とテロはまるで違うとはいえ、その前後で社会や人が大きく変わってしまう在り様(逆に、変わらない様)をよく知っている。
9.11は、世界中がそうなってしまった、世界史に深く刻まれる悲劇だ。
それが、一人の男、ウサマ・ビン・ラーディンによってもたらされたのである。

 

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ビン・ラーディンが殺された時、溜飲が下がったと同時に、NYで歓喜するアメリカ人を見て、すっきりしない気持ちになったことを憶えてる。
確かにビン・ラーディンは、殺されるべき=死刑になるべき凶悪犯罪者だ。
しかも、ビン・ラーディンはテロリストにとってのアイコン的存在だったから、彼を拘束すれば、その奪還を目指したテロを誘発しかねない状況でもあった。

「殺さなければならなかった」というアメリカの理屈はある程度理解できる。
しかしながら(大量破壊兵器など無かったが)、あのフセインだって捕まって裁判を受けることができた。パキスタンの主権も堂々と侵している。
これでは法もクソも無い。
先日グアムで日本人を殺した若者も特殊部隊が殺してくれたらいいのにと思う。
要は、その前に観た『アウトロー』の「正義」が国家レベルまで通底しているのが、アメリカという国なのだ。

と、つらつら映画外のことを書いてしまったけど、この映画はそういったことを言いたくなるほど、ビン・ラーディン捜索と殺害を順を追って丁寧に描いている。
同時にヒストリー・チャンネルでやっていたドキュメンタリーを見たけど相違はほとんどなく、脚本のマーク・ボールがCIAや政府関係者に緻密な取材を行った結果が見事に反映されている。
ラストの突入シーンは映画として独立した緊張感みなぎるシークエンスになっていて、日本人丸出しの感想を言うならば、オウム真理教の麻原を捕えるために第6サティアンに突入した警察の視点とでも言うべきか。
だから、「これはアメリカのプロパガンダ」「この映画は一方的な視点からして描かれていない」とか本当どうでもいいことをしたり顔で抜かす人は出てくると思う。
ブラックホーク・ダウン』公開時の反応で散々言ってきたことだけど、それは当たり前だ。

 

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映画的な脚色がなされているのは、主人公マヤの造形だろう。
爆弾処理以外のことに自分の居場所を見つけられない男を描いた『ハート・ロッカー』に続き、『ゼロ・ダーク・サーティ』は、10年間ビン・ラーディンを探し出すことに没頭したCIA女性分析官を描いている。
パキスタンでプライベートも寝食も忘れ、アルカイダメンバーを当たり前のように拷問し、取り調べのテープを目を凝らしてチェックし、ビン・ラーディンの連絡員「アブ・アフマド」を探し続ける日々。
ハート・ロッカー』ですらあった葛藤は映画で一切描かれないし、仕事の不平不満を言うことも無い。彼女は凄まじく「空洞」なのである。
敢えて言えば、「正義」や「報復」といったものがアメリカを突き動かしていたのならば、現場レベルのマヤを突き動かしていたのは、狂気じみた職業倫理だったのではないか。
だから、彼女が最後に見せた表情は狂気の終焉でもあり、新たな始まりでもある。